
都立深沢高校の敷地の片隅に学校には不釣り合いな建物が残っている
一代で巨万の富を築いた
わかもと創業者長尾欽弥の大邸宅の離れである
終戦と共にその全てを失い土地の売却の際に主屋は解体され
3つあった茶室の1つは六義園に移築されたという

かつてあった主屋からは、この渡り廊下でつながっていた



学校になってからも、この建物だけは残され茶道部の活動の場として活用
しかし震災以降は耐震面で立ち入り禁止となった
今年の5月より耐震工事が始まりオリジナル性がどこまで残せるか不安が残る

建物の中は入れませんが中の様子はほとんど見れました
しかし見所の階段が全く見えなかった事は残念




昭和6年に竣工したこの建物の設計者である大江新太郎は
法政大学の大江宏の父


学校敷地の端にあって曵屋したものと思ってましたが元々この崖地にあったそうです
緩やかに下る視線の先にはかつては池があった


地下室は鉄筋コンクリートで外壁にはスクラッチタイル
長尾夫婦は政界、財界と多方面に交友が広く
戦犯となった近衛文麿は
荻窪の自邸へは帰らず自決前の数日を長尾本邸で過ごした
服毒自殺に使った青酸カリは、長尾よねからもらったものと伝わる
尚、鎌倉にある別邸は鎌倉市に寄贈されて今も残る
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テーマ:建物の写真 - ジャンル:写真
- 2015/02/28(土) 20:27:45|
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